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座椅子

11-17,2016

高校を卒業してから1度しか会っていない友人がいる。
その友人は、「モーリス・ラヴェルが好きなんだ」という私に
「それならたぶんこれも好きだと思う」と言って、
スーパーカーを勧めてくれた。

会いたいな、と思う。


先月末に引っ越した。

直線距離ではたいした移動では無いけれど、
生活は大きく変わった。

シェアハウスを一度挟んだことで、
半分は他人のルールの上で生活したようなものだったから
一人暮らしで培ってきた「自分なりの暮らし方」が大きくリセットされた。

また、生活を一から作っていくことに
喜びを感じている。

狭いけれど清潔な家で、おいしいご飯を毎日食べている。
以前の自分より良い、と思う。

https://note.mu/sasakinonoka/n/nf4edb579bc01

この人と私では規範とする価値観が微妙に違うけれど、

抱えている根本的な問題はほぼ同じだと思った。

「そのままの自分が許されるわけがない」

という思い込みは、

避けたほうが良い人生を歩めるに違いない とわかっていても

あまりに根が深すぎて、自力でどうにかできるようなレベルではない。

というようなことが、
ここ数週間で、だんだんとわかってきたところです。
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(私は生きて、)29歳になりました

10-12,2016

10月1日 誕生日を迎えた瞬間は、実家の自分の部屋にいました。
実家の猫が水を飲まなくなったという知らせを受けて、急遽帰っていたのです。

日付を超える少し前までは、
母と2人で 今にも死にそうな
(けどしきりに歩き回ろうとする)猫を見守っていましたが
見守るだけで 特にできることなど無いので、
私も母も寝ることにしたのでした。

深夜2時半頃に目が覚めて居間へ行くと、

母は起きていて、猫は亡くなっていました。

 
 
猫は21歳半でした。

 

がりがりに痩せて、毛はボサボサだけど、尻尾と耳はツヤツヤで、

両腕がだらんと重ねられていて

私は彼女の死体を心から美しいと思い、

そして「天国なんて無いんだな」と思いました。

彼女の一生が完全に終わって
これからどこへ行くわけでもないということと、

ここから先は生きている者のための時間なのだ ということを知りました。

 

私は翌朝、
生きている自分のために、花を買いに行きました。

彼女に似合いそうな花を選ぶだけで、
救われる気持ちがありました。

 
 
そのあとは特に儀式も何もなく、
母は仕事に行き、
私は観劇に出かけ、

猫の体は合同ペット葬の業者に引き取られて行きました。

 

問答無用

09-11,2016

コンドルズの結成20周年公演@NHKホール を見てきた。

作品中の言葉を借りると(うろ覚え)
「コンテンポラリーダンスに風穴を開けようとがんばってきた」
ダンスカンパニー、コンドルズ。

3000人のホールを満杯にするなんて、

20年「面白い作品を創り続ける」だけじゃ叶わなかったはず。

プロデュース。ブランディング。
同じことを20年続けるメンバーの心意気。

コンドルズを見るのは数年ぶりだったけど、

やっぱり良いもんだなぁ、と、しみじみ感動した。


思えば大学生の頃はアホのようにコンドルズばかり観に行っていた。

NHKで全編放映された「JUPITER」を
録画して、何度も観たりしていた。

作品うんぬんのことよりも、
普通の「ファンの子」として、あの人がああだ、あのシーンがこうだと
語りたくなる魅力があるんだな。

公演はカーテンコール含めて2時間半近くあった。
グッタリ疲れてきたくらいのタイミングでぶっこまれる
怒涛のダンスシーンが、一番かっこよかった。

私の無意味にも、誰かうなずいて

08-13,2016

「夜廻り猫」は大好きで追いかけているんだけど、

この回は泣き崩れてしまった。


いま読んでも、何度だって泣ける。


ワカルくんは、遠藤平蔵(主人公)の隣にいつの間にかやってきては

「そうですよね〜、わかります〜」と言いながら

おこぼれを頂戴している、いけすかない奴だ。


けど、そんなワカルくんが、自分のやるべきことを自分で見つけて、

ひたすら雨を拭いて、初めて本当に笑顔になっている。

平蔵も、そのワカルくんの行動を肯定して、うなずいてくれる。



私は、こういう世界に触れるとき、どうしようもなく心動かされる。


無意味であることが、奥底から肯定される世界であってほしい、


それを私は求めている。だから踊りをやっているのだな、と思う。



これとか


哀れと思うのは人間の勝手であって、


彼(インコ)はこの時、間違いなく幸せなのだ。


私は、ワカルくんやこのインコが、羨ましくて仕方がない。

トヨタについて今思うこと

08-08,2016

トヨタコレオグラフィーアワードについて。

2006、2008、2012、2014、2016と全10回のうち、
5回の最終選考会を観客として目撃した。
(2012は途中退出のため受賞作は見られず)

印象に残っているのは2006と2008。

受賞作品が他と比べて圧倒的に良くって、
・賞というのはこうやって獲るんだ
・次のダンスとはこのように作られるんだ
と、無知な大学生なりに感動したのをうっすら覚えている。

2016の今回、
2階席から他の観客の反応を眺めながら鑑賞し、
そして結果を受けて

「大衆の感動の傾向みたいなものは、基本的には変わらない」
ということと、

「このコンペの場では、コンテンポラリーダンスの更新は期待されていない」
ということを感じ取った。

だからもう、コンテンポラリーダンスは
コンテンポラリー(同時代性)のものじゃないかもしれない。
モダンダンスやクラシックバレエと同じような、
ある形の感動を安定して供給してくれる装置なのかもしれない。

ここで私たちが
「あいつらがやってるのはコンテンポラリーダンスじゃない」と言って
このままコンテンポラリーダンスを名乗り続けるのか、

あの揺るがない「コンテンポラリーダンス」を捨て置いて
別の場所へ行くのか

微妙なところだな、と思う。

賢くやっていかなきゃならない。

今回、最終選考会に残れなかった約200作品のうち1つは私の作品で
そのことについてはすっかり納得している。
私の創作は全く水準に達していなかった。

けど、創り手として未熟であることと、
業界を憂うことは別に相容れなくはないので

ここにこうやって書いておく。私はずっと、怒っている。
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